福島 もう一つのチェルノブイリ

Publié le par francemedia

4月19日付 Le Monde


 19日付ルモンド紙の分析欄では、フランスの社会学者でチェルノブイリ事故後に原発周辺住民の生活環境を調査したフレデリック・ルマルシャン氏の論文を掲載している。ルマルシャン氏の専門は産業災害におけるリスク研究。特に原子力とバイオテクノロジーに伴うリスクの社会学研究を行い、仏カン大学の危険研究部門(MRSH/CNRS)の責任者でもある。以下、論文の内容を抜粋した。

 チェルノブイリ事故から25年目に起きた福島事故。今こそこれら近代産業史に残る2つの重大事故とその結果について考察する必要がある。3月11日以降、技術と社会という側面での議論が盛んにされているが、誰も大っぴらに主張できない事がある。それは、我々はもう一つのチェルノブイリに直面しているという事実である。事故レベルがチェルノブイリの象徴だった「7」に繰り上げられ、これら2つの事故の「共通性」が現れて来る。

 ウクライナとベラルーシの放射能汚染地域を調査した経験から、「チェルノブイリの被害者達」が自分達が受けた不幸な出来事を言葉や形にすることが出来ないでいることを知った。チェルノブイリ事故災害の本質が余りに稀なため、国家、技術者、そして住民達はその「敵」に直面する術を失ってしまったのである。福島においてはその心配はないが、あと数百年も汚染が続くといわれる「チェルノブイリの戦い」の現場には未だに800万人の住民が暮らしている。

 現在関係者達が気にかけている現実的、衛生的な観点を超え、長期間に渉り発生する想像を超えて複雑な社会的懸念事項を考える上で、前回の事故から教訓を得る必要があるのか。我々が行わなければならない努力は、福島だけでなく原子力の危険が起こりうるあらゆる場所で我々を導く教えを見いだすために、チェルノブイリの経験を回想することである。

 (中略)

 福島とともに崩壊する世界とは、出来事を過去と謎の場所へ葬り去り、さらにその影響を理解することを妨げたソビエト世界ではなく、まさに我々が生きる西洋自由主義世界であり、最も安全と言われていた建設・運営技術を誇った格納容器におさめられた原発のそれだった。

 チェルノブイリと福島を理解するには、原子力や現在のバイオテクノロジーといった「先見の精神」に基づいた我々の技術計画の失敗を受け入れることが必要だ。チェルノブイリは原子力ロビーの圧力で隠蔽され、汚染地域に住む住人達の叫びも同様に隠されて来た。しかし、福島についてはそうは行かない。30年も前から日本という国を一つのモデルとして捉えていたように、我々はより一層身近に感じてしまうのだ。

 チェルノブイリは単なる偶然の事故ではなく、あらゆる保安条件や初歩的な安全規則を無視した末にプログラムされたある種の「実験」だった。そのせいで、100万人がその「結果」を処理するために動員されたが、その成果はなかった。結果的にソビエト連邦の崩壊を早めることになったが、病理的なデータを作成するのに必要な条件もなかったために、現実的な被害状況を探り出す事は不可能になった。

 

(中略)

 チェルノブイリ事故の記憶がある人にとって、福島事故の推移は「デジャブー(既に見た事がある印象)」のように思われるだろう。原子炉と我々の世界を隔てる建物が爆発し(爆発の規模は福島ではより小さかった)、「掃除人(liquidator)」達が事故を起こした怪物と格闘しながら高い放射線と戦う様相、そして上空から原子炉へ絶望的な放水を行うヘリコプター。間違えてはいけない。これは新しい出来事ではない。チェルノブイリの歴史が繰り返されているだけに過ぎない。

 大規模な核汚染の後はもはや「通常の生活に戻ること」はできないということをチェルノブイリの生存者達は教えてくれた。汚染は雨や風に乗って人間の生活を汚す「放射性区域」を描きながら、地図そのものを塗り替えてしまう。ロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキーが作品「ストーカー」の中で描いたように、工業汚染された「自然」はその姿を変えることなく、足を踏み入れれば短期間で死さえももたらす場所に変わってしまうのである。

 それでは、もしどこにも逃げられないとしたら、どうすれば良いのだろうか?
チェルノブイリの2つ目の教訓は、今の日本の汚染地域に住む住民達が学ばなければならないことでもある。長期的に汚染された地域に長い間住まなければならないという生活条件から逃げられない場合、落ち着いて未来を見据えるにはただ「現実から目を背ける」しかない。
 
 ベラルーシの物理学者ワシリ・ネステレンコ氏は、チェルノブイリ事故後から10年間、時間の経過とともに低下するはずの汚染地域の住民の被曝量が増加するケースを観察してきた。すなわち、事故で精神的ストレスを被った後、通常の生活へ戻りたいという気持ちが「受け入れられない現実」を押さえ込み、住民達は以前と同じ生活習慣を取り戻してしまうのだ。

 チェルノブイリと福島はかつて人間が経験したことのない新しい形の災害となった。この災害は時間とともに広がり、生態系とともにその効果を増幅させたりする。さらに人間の生物学的、社会的、精神的生活だけでなく、まだ生まれていない未来の世代までもが影響を受け、その存在はすでに「原子」によって蝕まれている。

(中略)

 チェルノブイリと福島では、快適な社会を実現するために作られた「平凡な工業プラント」と戦わなければならない。少なくとも原発建設の際にはそういう謡い文句が使われたはずだ。これらの出来事は、我々の社会の選択、技術とエネルギーの選択、より簡単に言えば「社会モデル」をもう一度考えさせられる機会でもある。災害が起きる度にその国のGNPが上昇するという問題があるが、原子力災害はこうした経済効果は生み出さない。農地であろうが、水資源だろうが、都市部であろうが、汚染された地域は完全な損失であり一定期間あらゆる使用が禁止されることになる。

 このような強制は社会主義経済にとっても、自由主義社会にとっても到底耐えられるものではない。それは原子力に保険をかけることはできず、社会全体がその代償を払わなくてはならない理由だ。チェルノブイリの避難区域解除はただ単に禁止区域の境界線を動かして汚染された畑や野原を再び耕作可能にしただけで、福島でも汚染地域の長期避難は行われないと推測する理由でもある。

 

"Fukushima, l'autre Tchernobyl", Frédérick Lemarchand, Le Monde, 19/04/2011

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