毒に冒された谷で –ルモンド特集記事

Publié le par francemedia

5月26日付 Le Monde 抜粋訳

 仏ルモンド紙は5月26日付の紙面上で、福島原発事故の放射能汚染被害についての特集記事を掲載している。同紙東京特派員は原発から北西の最も汚染が激しいとされる地域に位置する浪江町と、屋内退避が出されている30キロ圏外にありながら重大な汚染が見つかっている飯舘村を訪れ、ガイガー放射線測定器を片手に、現在も現地で暮らす住民達のインタビューを敢行した。


 5月21日、原発から45キロ離れた飯舘村の民家では、雨どい、庭の雑草から毎時80マイクロシーベルトが計測された。一年を通してこの放射線量に晒され続ければ、合計700ミリシーベルトの被曝を受けることになる。ガンが発生する確率が確認されている100ミリシーベルトの7倍である。同紙の取材に応じた農家を営む飯舘村の住民宅の敷地内では、チェルノブイリ原発周辺で計測された数値に近い放射線量が出ている。事故後に降った雨が地面を流れることで、極端に放射線濃度の高い場所を村の方々で作り出している。


 飯舘村は事故発生直後に指定された屋内退避地域よりも遠く離れた45キロの場所にある。3月16日と17日に発生した爆発で屋外に放出された放射性核種は、海からの風に乗り内地へ飛び去った。放射能を含んだ低い雲は谷を駆け上がり、山を超え、北西の飯舘村にまで到達した。有害な放射性物質は雨と雪によって地上に落下し、民家の屋根に堆積した。同紙記者は、「この村ではガイガー測定器の警告音が鳴り止まない。放射性物質は雨と雪に取り込まれ、今でも水たまりや泥など雨水が溜まる場所に多く残っている。」と語る。

 当時、誰もこの村の住民にその危険性を告げることはなかった。

 「それから何週間も経った後、何が起きたかを知らされ、避難するよう言われた」と住民の一人は語る。「(事故発生後)雪が降り続いた数日間、誰も説明に来ることもなく、停電のためニュースを見ることもできなかった」という。最初の汚染から2週間後、一番最初に警告を発したのは非政府の環境団体だった。さらに4月10日には、フランスの放射線防護原子力安全研究所(IRSN)がアメリカ軍による飛行測定をもとに汚染図を作成した。日本政府が実際の数値を用いた汚染地図を公開したのはさらに2週間後の24日のことである。
 

 同紙によると、「避難が完了している地域を除き、原発から北西に広がる地域で放射線量が異常に上昇している。浪江町と葛尾町の大部分では年間被曝量が20ミリシーベルトを超え、100ミリシーベルトを超える地域も存在する」という。IRSNのパトリック・グルムロン放射線防護局長は、「これらの数値は、放射能汚染が局地的にチェルノブイリと同レベルに達していることを示している」と述べる。
 

 同紙は、「なぜ日本当局は数値確認をここまで遅らせた挙げ句、今になって避難命令を出したのだろう?」と問う。当局はこの事実を知っていたはずだ。その証拠として、飯舘村の路上に掲示されている放射線測定結果を見れば分かる。長瀞では、3月17日に毎時95マイクロシーベルト(年積算830ミリシーベルト)を計測し、その翌日には52マイクロ、20日には再び60マイクロシーベルトまで上昇している。放射能汚染は確実に発生したが、日本当局は住民に対していかなる避難や屋内退避も指示しなかった。「後日隠蔽の疑いがかけられることだけを心配して数値を公表したのでは」と同紙記者は推測する。

 数値データは毎日更新されていたが、その難解さから一般の住民が理解できるにはほど遠く、外国の専門家も困惑するほどだった。特に意味を持たない数字で、わざと危険性を隠そうとしたのではないだろうか。
 

 しかし、この地域の住民が無知のまま過ごした数日間は、最も危険な時期でもあった。現在、測定器は半減期が30年のセシウム137にのみ反応している。長期間の放射能汚染が懸念されるが、事故発生直後に降った雨雪には、ヨウ素131が含まれていた。ヨウ素は半減期は8日と短いが、その毒性はより一層強く、チェルノブイリ事故後に数千人という発症例が確認された甲状腺ガンの原因となる物質である。「ヨウ素は特に子供と妊娠中の女性にとって有毒で、放射性ではないヨウ素の錠剤を飲む事で甲状腺異常が防げる。しかし、飯館村でもその周辺でも住民にヨウ素が配られることはなかった」と同紙記者は語る。


 さらに最悪なことに、雪が降り続いた期間、ガソリン不足で村外に避難出来なかった8000人の住民の他に、津波の被害にあった南相馬などの住民達が村内に避難していたという。「当時最大で1400人が町の公民館に避難していた。日中雪の中を毎日食事を運んだり、作業をしたりしていた」長瀞で牧場を経営する男性は悔しそうに語る。彼の農場周辺は現在でも年積算で100ミリシーベルトを超える放射線量が計測されている。民間の環境団体が彼の農場の土壌や木の枝などをサンプル採取した際も、採取物がビニール製の袋に入れられているにも拘らず測定器が鳴り続けたという。


 「俺はこの災害のモルモットみたいなもんだ」と、男性は微笑みながら呟いた。大切な牛の世話を続けたいと語る男性は、「どうせ最初の数日間で被曝したんだから、今更何も変わらない」と開き直ったように明るく見せる。
 この地域ですぐに避難命令が出されるべきだったが、不幸中の幸いとも言えるのは、冬の間畑では何も育たないため、誰も汚染された野菜を食べなかったことだ。悪天候のため牛も屋内へ留まり、去年刈り取られた牧草を食べていたという。しかし村人の中には白菜や大根漬けを入れた壷を屋外に置いていたり、山の湧き水を飲んでいた人も多い。
 

 多くの住民は村から去ったが、未だ残っている住民の中には、今でも山菜やきのこを採りに山へ出かける人がいるという。「長い間空っぽになってしまう村の最後の時を楽しむように、普段の生活を続けている」と記者は語る。飯館村ではすでに住民の半分が避難している。5月15日には妊婦と子供達が強制避難させられ、残った人々は31日の段階で残れるかどうか判断するという。


 同紙は、「日本当局は、この地域の人々を重大な危険に晒していながら、現在は非常に曖昧な態度を取っている。前代未聞の非常事態の最中で、国、県、地方自治体の責任が錯綜し、誰が何を決めるのか分からない状況を作り出している」と語る。さらに、誰が仮設住居や農地賠償などの避難住民に対する補償を請け負うのか、国と東電との間でも責任の擦り合いが続いている。


 「我々はこの便利な生活の恩恵を受けたのだから、その被害から逃げては行けない」とある女性は語る。彼女は事故発生後から一度も自宅を離れておらず、自分の被曝量は知りたくもないという。彼女は隣人達が置き去りにして行った飼い猫や犬の世話を続けている。彼女の小さな家の雨どいからは年間積算1,2シーベルトの放射線量が検出された。同じく重大な放射能の被害を受けている長瀞地区では、迫り来る避難期限を前に、集落の見慣れた風景を写真に撮り続ける男性がいる。見えない危険に晒された数日間の出来事のせいで、彼らはいつ終わるかも分からない放浪の旅に出なければならない。

"Fukushima - Dans les vallées empoisonnées", Jérôme Fenoglio, Le Monde, 26/05/2011

ルモンドウェブサイトLe Monde.fr(定期購読版)では、写真と音声による取材ルポが視聴できる。

www.lemonde.fr

Commenter cet article